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執着を手離すということ [恋から愛へ]



執着しないということは 極端に言うと・・・
相手が目の前にいないとき、
相手を忘れているということ。

目の前にその人が存在するときには、その相手を奇跡のように感じたい。
その瞬間だけを大切にしたい。

離れているときに相手のことを考えて幸せな気持ちになることはいい。
だけど それが不安や心配、思い通りにならない苛立ちに、
悲しみに繋がるとしたら、考えないほうがいい。
そんな思いは知らない間にも自分の中に溜まっていき・・
その人を目の前にしたときに浮かびあがってきて・・
せっかくの大切な瞬間を台無しにしたりする。
相手が目の前にいるというのに 
過去の寂しさを持ち出したり、未来の不安を呼び出して
今を台無しにする。

そんなことがしたかった訳じゃない。


だから私は相手が傍にいないときには 
その人のことを忘れていたいなって思う。
相手から離れているときに一緒にいるのは自分だから、
その時は 自分を一番大切な人として扱う。喜ばせる。楽しませる。
そして・・・
その人が目の前に現れたときには
相手への気持ちを再び思い出して、大切にしたい。




幸福は幸福を呼ぶ (なでしこ文庫)

幸福は幸福を呼ぶ (なでしこ文庫)

  • 作者: 宇野 千代
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2008/12/19
  • メディア: 文庫



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欲しいものは目の前にあった [考えたこと]

オズの魔法使い・・・
ドロシーは 故郷の家に帰る方法を探していた。
ライオンは勇気を。カカシは脳みそ。ブリキは心が欲しくてドロシーと旅を共にする。

青い鳥・・・
幸せの青い鳥を探して チルチルとミチルは旅をする。

欲しい何かを求めて旅をする物語は多いけれど
結末は 実は最初から欲しいものは傍にあって、外に探しに行かなくてもよかったんだよってなる。
でも 皆 外に探しに行く。旅をする。
だけど 欲しいものは外にはない。
私達は旅をして、苦労して、見つからないことに失望して、ふと気づく、
欲しいものは目の前にあったことを。

目の前にありながら 見えず 感じられず 解からない。
結局 私達に必要なのは 目の前にあるものを 見ることのできる目と感じられる心。
幸せを手に入れるのではなくて・・幸せを感じる心を手に入れる。






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新たな決意 [恋から愛へ]

人を好きになった時って 彼に愛してもらいたいって思ってしまいますよね。

そして彼の言葉や行動に影響されてしまう・・・。

でも 相手に執着すればするほど、相手に求めれば求めるほど、愛から離れていく気がします。
今 一般に愛と思われているものは 愛着 執着 独占欲・・・なんじゃないかな・・・。
それに 男性と女性は違うもの。
なのに その事をつい忘れて、自分がして欲しいことをお互いに与えあって、すれ違っていく。
本当は、相手が欲しいことを与えあうべきなのに。
彼がそっとして欲しい時・・女性は寂しくなって自分がかまってもらいたくて相手に尽くして世話をしたりする。
自分では尽くすことが愛だと思いこんでいるけれど 実際には愛でないものを渡している。

私は好きな人が現れた時には、愛じゃないものをその人に渡したくないのです。
そのために
執着を手離すために・・・ 
私は誰よりも私を一番大切な存在として扱うことに決めました。

そしていつかは・・・ 相手が望んでいることだけを渡します。


タグ:恋愛心理

新インフルエンザ対策 [メッセージ]


新型インフルエンザ発生時に備えて
生活必需品や食料は準備されていますか?


厚生労働省 新型インフルエンザ対策関連情報 
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/

厚生労働省 個人対策
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/11.html

インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QAindex.html

新型インフルエンザ 国の行動計画によると、国内で流行した場合、国民の25%の3200万人が感染し、入院患者数は1日最大約10万人に上ると想定。死亡者も17万~64万人と予想している。
(2008年6月30日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20080630-OYT8T00236.htm?from=nwla

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ホ・オポノポノ [メッセージ]

その話を初めて聞いたのは今年の一月のことでした。
そして この話がずっと頭から離れませんでした。
まずは下の話を読んで見て下さい。
_____________________________

The World's Most Unusual Therapist(世界一風変わりなセラピスト)

二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。

その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、
精神障害を理由に不起訴、減刑、あるいは無罪となった人のこと) の
病棟に収容されていた人たち全員を、 誰一人診察することなく
癒したそうだ。

その心理学者は患者のカルテを読み、 自分がどのようにして
その人の病気を創りだしたのかを理解するために、自分の内側を
見たのだそうだ。

彼が自分自身を改善するにつれて、患者も改善したという。

最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。

自分自身を癒すことによって
他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう?

最高の自己改善の達人であったとしても、
どうやって触法精神障害者を癒すことができるだろう?

私には理解できなかった。
論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。


しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。

セラピストはホ・オポノポノという
ハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。

初めて聞くものだったが、忘れることができなかった。
もしその話が本当なら、 私はもっと知らなければならなかった。


私は「完全な責任」とは、私の言動に対する責任は
私にあるという意味だと 前々から理解していた。

その向こうのことは、自分の管理を離れていると。

ほとんどの人たちは完全な責任というものをそのように
考えているのではないかと思う。


私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、
他の人の行いに対してではない。

精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、
私に完全な責任についての進化した新しい観点を教えてくれる
ことになった。


彼の名はイハレアカラ ヒュー レン 博士。

私たちは最初の電話でたぶん一時間は話しただろう。

彼にセラピストとしての
仕事の全貌を語ってくれるようお願いした。
彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。

触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、
心理学者は月単位でやめていき、職員はよく病欠の電話を
かけてきて、やめていく人もいたそうだ。

人々がその病棟内を歩くときには、患者に攻撃されないように
壁に背中をくっつけて通ったらしい。

それは生活するにも働くにも訪ねるにも心地よい場所ではなかった。

レン博士は一度も患者を診なかったのだそうだ。

彼は診療室を持って
患者らのファイルに目を通すことには合意した。

それらのファイルを見ながら、
彼は自分自身に働きかけた。

彼が自分自身に働きかけるにつれて、
患者に癒しが起きはじめた。

「2、3月後には、以前は手足を縛られていた
患者たちが、自由に歩くことを許可されていました」
と彼は言った。

「多量の投薬が必要だった人たちは、
投薬をやめつつありました。
そして退院の見込みのなかった人たちが退院していったのです。」

私は畏敬の念に打たれた。

「それだけではありません」
彼は続けた。

「職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。
常習的欠勤や退職は消え去りました。

患者は退院していくし、職員全員が仕事に
来るようになったので、最後には必要以上の人数の
職員が残りました。現在、その病棟は閉鎖されています。」

ここで私は問わなければ気がすまなかった。


「それらの人々に変化をもたらすような何を、
あなたは自分自身の中で行っていたのですか?」


「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を
癒していただけです」と彼は言いました。

私には分からなかった。


レン博士は説明した。

あなたの人生への完全な責任とは、
あなたの人生の中の全てが

― 単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由で―

あなたの責任なのだと。

文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。


ヒャー。

これはなかなか納得できるものではない。


自分の言動が自分の責任だということと、
私の人生におけるあらゆる人の言動の責任が、
私にあるというのは全く別の話ではないか。

それにもかかわらず、実際のところは、
もしあなたが自分の人生の全責任を負うならば、
あなたが見たり、聞いたり、触れたり、その他どんな方法であれ、
あなたが経験する全てがあなたの責任なのだ。

それはあなたの人生の中にあるのだから。

これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済
― あなたが経験していて好きではないこと― を癒すのは、
あなた次第だということである。

言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。

あなたの内面からの投影である以外には。


問題は彼らに関するものではなく、あなたに関するものであり、
それを変えるには、あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。


このことは把握するのも難しく、ましてやそれを
受け入れて実際に生きることは もっと難しいとわかっている。


非難のほうが、
完全な責任よりもはるかに簡単である。

しかし、
レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。

彼にとっての癒し、 そしてホオポノポノにおける癒しとは、
あなた自身を愛することなのだと。


あなたが自分の人生を改善したければ、
あなたは自分の人生を癒さなければならない。


もしあなたが誰かを癒したければ
―たとえそれが精神障害を持った犯罪者であっても―
あなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。


どのようにして自分自身を癒すことに
取り組んでいたのかと私はレン博士にたずねた。

患者のカルテを見ていたときに、彼は具体的には何をしていたのだろう?


「私はただ

『ごめんなさい(I'm sorry)』と

『愛しています(I love you)』を

何度も何度も言い続けていただけです」


と彼は話した。



それだけ?  


それだけ。


あなた自身を愛することが、
あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり、

あなた自身を好転させるにつれて、あなたは
あなたの世界を好転させるということが判明した。


これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。

ある日、
誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。

過去そういう時には、私は自分に感情的な反応を
引き起こすものについてワークしたり、あるいは意地悪な
メッセージを送ってきた人に理を説こうとすることで処理したものだった。

今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。

私は「ごめんなさい」と
「愛しています」を 声に出さずに言い続けた。


特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。


私はただ愛の精神を呼び起こし、
この外側の状況を創り出した自分の中を癒そうとしただけだった。

一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。

彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。

私は謝ってもらうために外側に
何も働きかけをしていないことを覚えておいてほしい。

私は返事すら書いていなかったのだ。

にもかかわらず、「愛しています」と言うことで、
私はどういうわけか彼を創り出していた 自分の内側を癒すことができた。


その後、私はレン博士が開いた
ホ・オポノポノのワークショップに参加した。

彼は今では70歳で、
優しい祖父のようなシャーマンと見なされていて、
少々引きこもりがちである。

彼は私の著書
『The Attractor Factor』をほめてくれた。

私が自分を向上させるにつれて、私の本の波動が上がり、
人々が本を読むときに皆それを感じるだろうと彼は語った。

要するに、私が向上すると、
私の読者も向上するということだ。

すでに売られて外に出ている本については
どうなんですか?と私はたずねた。

「それらの本は外にあるのではないよ。」

彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚いた。

「未だにあなたの中にあるんだ」


つまり、外なんてないということだ。


この高度な技術を、それが値する深さとともに
説明しようとしたら、本が一冊書けるだろう。

あえて言うなら、あなたがあなたの人生の中の
どんなものでも改善したいのなら、見るべき場所は
ただひとつ、あなたの中である、ということだ。


「あなたが見る時は、愛をもって見るように」
ジョー・ヴィターレ/レン博士の共著「ZERO LIMITS」より抜粋。






さらに詳しく知りたい方は[soon]http://blog.hooponopono-asia.org/?eid=669790
http://hooponopono-asia.org/who's_in_charge_japanese.html

つい先日、日本語訳の本も発売されました。


あなたを成功と富と健康に導く ハワイの秘法

あなたを成功と富と健康に導く ハワイの秘法

  • 作者: ジョー・ヴィターリ
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2008/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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常識は間違っていることもある [考えたこと]

私達が頭にまずはじめに叩きこむべきは
今、自分が真実で正しいと思っていることは間違っている可能性があるということ。

それは過去や歴史を振り返ってみれば解るのではないでしょうか。

常識は常に覆されていっています。

地球が平らだと信じられていた時代に 地球が丸いと言った人は気違い扱いを受けたでしょう。

私達は過去の歴史を振り返って・・
今から思えば
あの出来事は間違っていたと判断しています。
あの頃は 今では考えられないようなことが常識だったんだな、と思ったりします。

例えば、過去の奴隷解放運動。
その時代には 奴隷解放を唱える人と奴隷解放に反対する人がいました。
今の私は奴隷解放に賛成する側です。
けれど、もしその時代に生きていたとしたら、どちら側の人間であったでしょうか。
このことを私はよく考えます。
私はどちら側の人間であっただろうか・・・と。

生まれた時から奴隷が存在することが当たり前だった時代です。
父親も母親も奴隷が間違った制度だなんて教えてくれません。
無垢な子供は両親の言葉を疑ったりしないと思います。
そして奴隷が存在することで恩恵を受けていたとしたら・・・。
はたして、どちら側の思想であったでしょうか?
私は 奴隷解放を唱える側にあったでしょうか?

同じ事が・・・今現在問われています。
私はどちら側にいるのでしょうか?
未来からみて、間違っている常識が、きっと沢山 周りに溢れています。
生まれてからインプットされてしまった固定概念を外して、
未来からの視点で物事を捉えることが出来るのか・・。
古い認識を守ろうとする側と新しい認識を持ち時代を変えようとする側と
どちらでいたいのか・・。

私は 人として 正しい判断を出来るようになりたいと思うのです。



人が・・正しいと思われる情報を受け入れようとしないのは何故なのでしょうか?
むしろ 真実に近ければ近い情報ほど 伝わらないのは何故なのでしょうか?

どうやら、新しい考えや意見というものは たとえ真実であったとしても
すぐには 常識にはならないみたいです。

新しい説は 受け入れられるまでには何段階かの段階を踏むと聞いたことがあります。
まず 新しい考えは 仮説として打ち出され
その時代の利益に反する場合には 
その説により不利益をこうむる人々から奇説・愚説、呼ばわりをされ
だんだんと証拠が集まったり、科学的に実証され、反論出来なくなった状態で 通説となり
その説が一般大衆にも広まり、信じる人々が多くなった場合に やっと常識となる。

こう考えると 真実に近い情報ほど拒絶されるのは 
その情報によって、不利益をこうむる人々が沢山いるからなのですね。

私自身 自分が本当だと信じている情報でも 伝えられない時があります。

例えば 白砂糖の害。
白砂糖は 血液の粘性を増し 血糖値を急激にあげ 
体に吸収される際には体からビタミンとカルシウムを奪い・・・・と
知った実害を挙げていけば きりがないくらいだけれど、
例えば、夢を持ち ケーキ屋をオープンしたばかりの人には 
話したくないと思っている自分自身がいるのです。
町中に 白砂糖を使用したお菓子が出回っていて、
多くの人々は それを食べることに快を感じています。
白砂糖の話は そんな人々には 快を奪う不利益な話であり不快だと思うでしょう。
白砂糖を原料として使用しているメーカーには 不利益な説に他ならない・・。
本当かどうか検討する以前に不利益なのです。
私は 商売を邪魔したいわけでも 楽しみを奪いたいわけでもありません。
ただ、人々は健康を望んでいるから 伝えて健康になって欲しいと思っただけでした。

そして 病院! 病院での矛盾した情景。
病気のお見舞いにお菓子やケーキ、アイスクリーム、弱った体に白砂糖を入れるだなんて
回復を遅らせる行為に私の目には映ります。
でも 持っていった人は 回復を願っている、病人を喜ばせたいと思っているのです。
そして 白砂糖の体への影響を知らない病人も 喜んで受け取って食べていたりする。
この逆さまな状態をなんと表現すればいいのか!
人々の善意が 無知のために 想い((治って欲しい)と 逆のこと(悪化させる)を生み出していっています。


今までに聞いたことのない話を聞いたとき
不快感を覚えるのは 大なり小なり 不利益なことがあるからだと思います。
本当か嘘かを判定しようとすれば 情報を集めなければならないかもしれないし労力を要します。
思考を働かすことすら 面倒に感じることもあるだろうし
真実だと思ってしまった日には 自分の生活習慣や何かを変える必要性が出てくるかもしれないし
なにより 今までの自分が間違っていたことを認めなければなりません。

新しい考えというものは 求めていない時には 厄介事でしかないのかもしれません。

けれども 本当のことを知らない限り 人の苦しみは終わらない気がします。

本当の事を知るために・・
新しい説を聞いた時には 常識は間違っていることもある ということを思い出し 不快感を押しのけて 検討してみる。 そして 自分で判断できない時には 否定も肯定もしないで情報のひとつとして保留にしておいて 時間が経ち、更なる情報が入って来た時には先入感を持たずに再検討をしてみる。 先入感がなければ 正しい判断に近づける。
未来から見たときに 私はどちら側の人間でいられるか・・・。

常識は常に変化していくものだと覚えておきたいと思っています。




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映画 パッチ・アダムス から [考えたこと]

     


     精神病院に入院したパッチ・アダムスは 老人に質問を出されます。

     (老人、4本の指を目の前に出して)
     何本見える?
     (パッチ・アダムスは答えます)
     4本

     (老人)
     違う 私を見ろ     
     問題ばかり見てると答えが目に入らない
     問題を見ず 私を見ろ

     指の向こうを見るんだ。何本見える?

     ・・・・・・・・・(略)

     人に見えないものを見ろ
     恐れとか、怠惰で
     人が見ようとしないものを見ろ     
     
     新しい世界が見えてくる


上記のシーンが、セリフが、私の心に残りました。

私達が見ている世界は・・・ 
誰かが作り出したものではなくて
私達、一人一人が作り出しています。

例えば あなたに助言をしてくれる人がいたとします。
あなたは そのことに 感謝することも出来れば、迷惑と思うことも出来ます。
怒りの感情を持つことも 悦びの感情を持つことも あなたは自由に選べます。
そう・・・私達は 事を目の前にした時、
実は考え方を選ぶことで どんな感情を持つか自分で決めれるのです。

今まで ずっと自分の感情は変えれないものだと思ってきました。 
その感情をもたらしたものは 自分以外の外のものだと思っていたのです。
だから 自分が良い気持ちになれるように 
周りの人に変わって欲しいと望み、
自分の思うようにならない人を 心の中で責め、
幸せは 外からやってくるものであり、現象であると思い込んでいた私は
こうなったら幸せになれる・・・と思っていたのかもしれません。

そして、気がついた今はただ・・ 
見えていないものを見える自分になって
幸せを感じる心を手にいれたいと思うのです。



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マクロビオティック 甘い野菜のスープ♪ ほんと お勧めです!! [健康 実践編]


体調を崩されてる方へ
健康の為に何かを始めたい人に
まずはお勧めするのは マクロビオティックで紹介されている甘い野菜のスープです。

まずは玄米という方法もあるのですが
こちらは 家族の協力も必要だったりして なかなか実行できない方も多かったりします。
でも このスープは親しみのある身近な素材だからか 反発心が起きないみたいなんですよね。
効果もすぐに出てくるので (体が温まる、便秘改善、肌がきれいになる)
続ける意欲も出てくるみたいです。

このスープの作用のひとつには 血糖値を正常に戻す働きがあるそうです。
なので 朝の空腹時や、血糖値の下がりやすい夕方の空腹時に飲むと効果的です。

(血糖値が下がってくると 血糖値を上げるために 必然的に甘いお菓子が欲しくなってきます。
甘いお菓子を食べる前に このスープを飲んで血糖値を正常に戻せば  
甘いお菓子を食べたいという欲求を無理なく、自然に抑えることができるので 
健康管理にもダイエットにも役に立つと思いますよ)

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レシピ

たまねぎ 150g
キャベツ 150g
かぼちゃ 150g
にんじん 150g

上記の順にみじん切りして 鍋に重ねて入れていきます。
水を野菜の全体量の約3倍注ぎます。

蓋をして強火。
沸騰したら 弱火にして 蓋を閉めたまま20分煮ます。

ザルで濾して 煮汁だけを取り出したら 出来上がり♪

一回200㏄を目安に飲んでいます。

一ヶ月くらい続けてみて下さい。
体調が改善されてきたことを感じられるようになったら
毎日飲まなくていいと思います。
体が欲しているかどうか 個人個人で感じて下さい。

味覚が変化していくことも感じられると思いますよ♪



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自分の現実を変える力 [考えたこと]

私達それぞれが 自分の見ている現実を変える力を持っている。

ただし、その力を使っている人と使っていない人がいる。

その力を封印することは凄く簡単で・・・
「こうなったのは○○のせいだ」・・・と思うだけでいい。

そして その力を使いたいときには 
「こうなったのは私の責任だ」・・・と思うだけでいい。

ただし、責任を取ることと罪悪感を持つことは別なこと。


私の意見を受け入れてもらえなかった時・・・
相手が頑固だから とか 相手が間違ってる とか そんな考えはいらない。

受け入れてもらえなかった時に 私の責任だと思えれば
現段階での私の説明では伝わらなかった事を認め、
じゃあ もっと解かりやすく説明するには どうしたらいいかな?
と次の段階に前進していける。
その人には最終的に伝えられなくても 
その時 前進したことで 別の人には伝えることが いつの間にか出来るようになっていたりする。

その積み重ねが 現実を少しずつ、着実に 変えていく。


自分の現実を変えることは 実は このことに気づくだけで可能となる。









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目覚める瞬間 [考えたこと]


自分自身を変えることの出来た人と出来なかった人の違いのひとつ。

それは・・・ 心の痛みの深さかもしれません。 


強烈な体験をもって 強烈な心の痛みを感じた時。
もしくは 同じような体験を何度も何度も繰り返して とことん懲りて
懲りて懲りて懲りまくって・・ 
もうこんな状態は嫌だと心の底から思えた時・・・

人は変わることが出来ているように思えます。

深い心の痛みを感じることによって、
目覚めることが出来るのです。


だから、苦しんでいる人を目の前にして 
あなたの力で助けてあげられなかったとしても
苦しまないで下さい。

苦しんでいるその人は 懲りるまでの途中段階にいるだけなのです。
結局、本人が懲りて変わろうと決心する以外、変われないのです。


何かしてあげたいと思ったときには
せっかく懲りようとしている工程を 邪魔していないか注意して下さい。
あなたの手助けが その人の気休めとなり 中途半端な位置にとどめているようならば
せっかくの懲りるチャンスを奪っているのかもしれないのです。

対処療法ではなく、根本治療をしなければ 苦しみは続くのです。

もちろん、助けてあげたいと思う気持ちは大切です。
その気持ちが見返りを求めるものでないのなら 
傍で静かに見守っていれば
その人が本当に必要としているタイミングで
アドバイスやヒントをあげることは出来るかもしれません。

大切な人のタイミングを見逃さないように
相手を見ていることが出来たらいいなと思っています。





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