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常識は間違っていることもある [考えたこと]

私達が頭にまずはじめに叩きこむべきは
今、自分が真実で正しいと思っていることは間違っている可能性があるということ。

それは過去や歴史を振り返ってみれば解るのではないでしょうか。

常識は常に覆されていっています。

地球が平らだと信じられていた時代に 地球が丸いと言った人は気違い扱いを受けたでしょう。

私達は過去の歴史を振り返って・・
今から思えば
あの出来事は間違っていたと判断しています。
あの頃は 今では考えられないようなことが常識だったんだな、と思ったりします。

例えば、過去の奴隷解放運動。
その時代には 奴隷解放を唱える人と奴隷解放に反対する人がいました。
今の私は奴隷解放に賛成する側です。
けれど、もしその時代に生きていたとしたら、どちら側の人間であったでしょうか。
このことを私はよく考えます。
私はどちら側の人間であっただろうか・・・と。

生まれた時から奴隷が存在することが当たり前だった時代です。
父親も母親も奴隷が間違った制度だなんて教えてくれません。
無垢な子供は両親の言葉を疑ったりしないと思います。
そして奴隷が存在することで恩恵を受けていたとしたら・・・。
はたして、どちら側の思想であったでしょうか?
私は 奴隷解放を唱える側にあったでしょうか?

同じ事が・・・今現在問われています。
私はどちら側にいるのでしょうか?
未来からみて、間違っている常識が、きっと沢山 周りに溢れています。
生まれてからインプットされてしまった固定概念を外して、
未来からの視点で物事を捉えることが出来るのか・・。
古い認識を守ろうとする側と新しい認識を持ち時代を変えようとする側と
どちらでいたいのか・・。

私は 人として 正しい判断を出来るようになりたいと思うのです。



人が・・正しいと思われる情報を受け入れようとしないのは何故なのでしょうか?
むしろ 真実に近ければ近い情報ほど 伝わらないのは何故なのでしょうか?

どうやら、新しい考えや意見というものは たとえ真実であったとしても
すぐには 常識にはならないみたいです。

新しい説は 受け入れられるまでには何段階かの段階を踏むと聞いたことがあります。
まず 新しい考えは 仮説として打ち出され
その時代の利益に反する場合には 
その説により不利益をこうむる人々から奇説・愚説、呼ばわりをされ
だんだんと証拠が集まったり、科学的に実証され、反論出来なくなった状態で 通説となり
その説が一般大衆にも広まり、信じる人々が多くなった場合に やっと常識となる。

こう考えると 真実に近い情報ほど拒絶されるのは 
その情報によって、不利益をこうむる人々が沢山いるからなのですね。

私自身 自分が本当だと信じている情報でも 伝えられない時があります。

例えば 白砂糖の害。
白砂糖は 血液の粘性を増し 血糖値を急激にあげ 
体に吸収される際には体からビタミンとカルシウムを奪い・・・・と
知った実害を挙げていけば きりがないくらいだけれど、
例えば、夢を持ち ケーキ屋をオープンしたばかりの人には 
話したくないと思っている自分自身がいるのです。
町中に 白砂糖を使用したお菓子が出回っていて、
多くの人々は それを食べることに快を感じています。
白砂糖の話は そんな人々には 快を奪う不利益な話であり不快だと思うでしょう。
白砂糖を原料として使用しているメーカーには 不利益な説に他ならない・・。
本当かどうか検討する以前に不利益なのです。
私は 商売を邪魔したいわけでも 楽しみを奪いたいわけでもありません。
ただ、人々は健康を望んでいるから 伝えて健康になって欲しいと思っただけでした。

そして 病院! 病院での矛盾した情景。
病気のお見舞いにお菓子やケーキ、アイスクリーム、弱った体に白砂糖を入れるだなんて
回復を遅らせる行為に私の目には映ります。
でも 持っていった人は 回復を願っている、病人を喜ばせたいと思っているのです。
そして 白砂糖の体への影響を知らない病人も 喜んで受け取って食べていたりする。
この逆さまな状態をなんと表現すればいいのか!
人々の善意が 無知のために 想い((治って欲しい)と 逆のこと(悪化させる)を生み出していっています。


今までに聞いたことのない話を聞いたとき
不快感を覚えるのは 大なり小なり 不利益なことがあるからだと思います。
本当か嘘かを判定しようとすれば 情報を集めなければならないかもしれないし労力を要します。
思考を働かすことすら 面倒に感じることもあるだろうし
真実だと思ってしまった日には 自分の生活習慣や何かを変える必要性が出てくるかもしれないし
なにより 今までの自分が間違っていたことを認めなければなりません。

新しい考えというものは 求めていない時には 厄介事でしかないのかもしれません。

けれども 本当のことを知らない限り 人の苦しみは終わらない気がします。

本当の事を知るために・・
新しい説を聞いた時には 常識は間違っていることもある ということを思い出し 不快感を押しのけて 検討してみる。 そして 自分で判断できない時には 否定も肯定もしないで情報のひとつとして保留にしておいて 時間が経ち、更なる情報が入って来た時には先入感を持たずに再検討をしてみる。 先入感がなければ 正しい判断に近づける。
未来から見たときに 私はどちら側の人間でいられるか・・・。

常識は常に変化していくものだと覚えておきたいと思っています。




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映画 パッチ・アダムス から [考えたこと]

     


     精神病院に入院したパッチ・アダムスは 老人に質問を出されます。

     (老人、4本の指を目の前に出して)
     何本見える?
     (パッチ・アダムスは答えます)
     4本

     (老人)
     違う 私を見ろ     
     問題ばかり見てると答えが目に入らない
     問題を見ず 私を見ろ

     指の向こうを見るんだ。何本見える?

     ・・・・・・・・・(略)

     人に見えないものを見ろ
     恐れとか、怠惰で
     人が見ようとしないものを見ろ     
     
     新しい世界が見えてくる


上記のシーンが、セリフが、私の心に残りました。

私達が見ている世界は・・・ 
誰かが作り出したものではなくて
私達、一人一人が作り出しています。

例えば あなたに助言をしてくれる人がいたとします。
あなたは そのことに 感謝することも出来れば、迷惑と思うことも出来ます。
怒りの感情を持つことも 悦びの感情を持つことも あなたは自由に選べます。
そう・・・私達は 事を目の前にした時、
実は考え方を選ぶことで どんな感情を持つか自分で決めれるのです。

今まで ずっと自分の感情は変えれないものだと思ってきました。 
その感情をもたらしたものは 自分以外の外のものだと思っていたのです。
だから 自分が良い気持ちになれるように 
周りの人に変わって欲しいと望み、
自分の思うようにならない人を 心の中で責め、
幸せは 外からやってくるものであり、現象であると思い込んでいた私は
こうなったら幸せになれる・・・と思っていたのかもしれません。

そして、気がついた今はただ・・ 
見えていないものを見える自分になって
幸せを感じる心を手にいれたいと思うのです。



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マクロビオティック 甘い野菜のスープ♪ ほんと お勧めです!! [健康 実践編]


体調を崩されてる方へ
健康の為に何かを始めたい人に
まずはお勧めするのは マクロビオティックで紹介されている甘い野菜のスープです。

まずは玄米という方法もあるのですが
こちらは 家族の協力も必要だったりして なかなか実行できない方も多かったりします。
でも このスープは親しみのある身近な素材だからか 反発心が起きないみたいなんですよね。
効果もすぐに出てくるので (体が温まる、便秘改善、肌がきれいになる)
続ける意欲も出てくるみたいです。

このスープの作用のひとつには 血糖値を正常に戻す働きがあるそうです。
なので 朝の空腹時や、血糖値の下がりやすい夕方の空腹時に飲むと効果的です。

(血糖値が下がってくると 血糖値を上げるために 必然的に甘いお菓子が欲しくなってきます。
甘いお菓子を食べる前に このスープを飲んで血糖値を正常に戻せば  
甘いお菓子を食べたいという欲求を無理なく、自然に抑えることができるので 
健康管理にもダイエットにも役に立つと思いますよ)

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レシピ

たまねぎ 150g
キャベツ 150g
かぼちゃ 150g
にんじん 150g

上記の順にみじん切りして 鍋に重ねて入れていきます。
水を野菜の全体量の約3倍注ぎます。

蓋をして強火。
沸騰したら 弱火にして 蓋を閉めたまま20分煮ます。

ザルで濾して 煮汁だけを取り出したら 出来上がり♪

一回200㏄を目安に飲んでいます。

一ヶ月くらい続けてみて下さい。
体調が改善されてきたことを感じられるようになったら
毎日飲まなくていいと思います。
体が欲しているかどうか 個人個人で感じて下さい。

味覚が変化していくことも感じられると思いますよ♪



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自分の現実を変える力 [考えたこと]

私達それぞれが 自分の見ている現実を変える力を持っている。

ただし、その力を使っている人と使っていない人がいる。

その力を封印することは凄く簡単で・・・
「こうなったのは○○のせいだ」・・・と思うだけでいい。

そして その力を使いたいときには 
「こうなったのは私の責任だ」・・・と思うだけでいい。

ただし、責任を取ることと罪悪感を持つことは別なこと。


私の意見を受け入れてもらえなかった時・・・
相手が頑固だから とか 相手が間違ってる とか そんな考えはいらない。

受け入れてもらえなかった時に 私の責任だと思えれば
現段階での私の説明では伝わらなかった事を認め、
じゃあ もっと解かりやすく説明するには どうしたらいいかな?
と次の段階に前進していける。
その人には最終的に伝えられなくても 
その時 前進したことで 別の人には伝えることが いつの間にか出来るようになっていたりする。

その積み重ねが 現実を少しずつ、着実に 変えていく。


自分の現実を変えることは 実は このことに気づくだけで可能となる。









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目覚める瞬間 [考えたこと]


自分自身を変えることの出来た人と出来なかった人の違いのひとつ。

それは・・・ 心の痛みの深さかもしれません。 


強烈な体験をもって 強烈な心の痛みを感じた時。
もしくは 同じような体験を何度も何度も繰り返して とことん懲りて
懲りて懲りて懲りまくって・・ 
もうこんな状態は嫌だと心の底から思えた時・・・

人は変わることが出来ているように思えます。

深い心の痛みを感じることによって、
目覚めることが出来るのです。


だから、苦しんでいる人を目の前にして 
あなたの力で助けてあげられなかったとしても
苦しまないで下さい。

苦しんでいるその人は 懲りるまでの途中段階にいるだけなのです。
結局、本人が懲りて変わろうと決心する以外、変われないのです。


何かしてあげたいと思ったときには
せっかく懲りようとしている工程を 邪魔していないか注意して下さい。
あなたの手助けが その人の気休めとなり 中途半端な位置にとどめているようならば
せっかくの懲りるチャンスを奪っているのかもしれないのです。

対処療法ではなく、根本治療をしなければ 苦しみは続くのです。

もちろん、助けてあげたいと思う気持ちは大切です。
その気持ちが見返りを求めるものでないのなら 
傍で静かに見守っていれば
その人が本当に必要としているタイミングで
アドバイスやヒントをあげることは出来るかもしれません。

大切な人のタイミングを見逃さないように
相手を見ていることが出来たらいいなと思っています。





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